見出し画像

深夜アニメで加速したアニソンの自由 〜対談 with 冨田明宏 #1 〜

THECOO 株式会社代表の平良 真人の対談シリーズ。第二弾は、音楽評論家・音楽プロデューサーとして活動されている冨田明宏さん。

近年、ヒットチャートの上位にもランクインするアニソン。どうやってアニソンがこれほどまでに人気になったのか、その裏側に隠されたアニソンの面白さ、これからのアニメの可能性やアニソンが担う役割について伺ってみたいと思います。

冨田明宏(とみたあきひろ)
音楽評論家・音楽プロデューサー
数々の人気アニメ主題歌やゲーム音楽、CM音楽、アーティスト・プロデュースを手がける。
音楽ライター時代は年間 120 本にも及ぶインタビューを経験し、アニソン評論家として『アニソンマガジン』や『リスアニ!』などアニメ音楽専門誌でメインライター、スーパーバイザーなどを担当。ラジオパーソナリティー、『マツコの知らない世界』や『関ジャム 完全燃SHOW』などメディアでも活躍中。

アニソンは自由すぎるくらい自由な音楽である

平良真人(以下、平良):
まず最初に、どういう経緯でアニソンに興味を持たれたのかを教えてもらえますか?

冨田明宏氏(以下、冨田氏):
もともとタワーレコードで洋楽ロックのバイヤーをずっとやっていたのですが、その時の上司から「 バイヤーになったら血を売ってでも CD を買って聞き続けろ 」と言わるところから社会人がはじまっていて(笑)。バイヤーっていうのは音楽のエキスパートじゃなければいけないし、目利きじゃないと存在価値はない。イコールお給料をもらう立場にない。
なので僕はまだ知らない音楽を知るために、血は売れないので(苦笑)借金して CD を買っていました。働くために借金をするって、冷静に考えるまでもなく本末転倒なんですけどね。とはいえ、それまでも色々聞いてきたつもりだったんですけど、井の中の蛙というのはこういうことを言うんだなと。聞いたこと無い音楽が星の数ほどあったんです。結果 9,000 枚程の CD やレコードがある状況になり、借金もどんどん増えて、ちょっと疲れちゃったんですよね。

毎日のように新しい音楽の情報を入れ続ける作業をして、朝から晩まで働いて、深夜に仕事から帰ってくる。帰ってテレビをつけると、毎日毎日深夜にアニメがやっていて、ビール飲みながらダラッと見ていたら、知らぬ間にハマっていたんですよ。「 あれ?アニメも アニソンも超面白じゃん!」って。

それが、2004、5年の時。僕が24、5歳の時ですね。面白いと思った理由は、洋楽には無いポップさがあって、メロディがとても際立っていたこと。アニソンってオープニングとエンディングのルールが決まっていて、尺が90秒。その中で1番を完結させないといけない。その分、そこに込められた情報量が濃くなって、極端にポップになる。そしてキャッチーになる。
色んな音楽を聞いてきたつもりの僕にとって、アニソンって凄く自由だなって思ったんです。だって、そのアニメの作品性に合ってさえいれば、クラシックもジャズもロックもダンスミュージックもくっつけちゃっていいんだ!って。そして、それがポップスとして成立していて「なんかかっこいいな!」と漠然と思ったんですよ、第三のビールなんか飲みながら(笑)。

そこから深夜にアニメを見て、アニソン聞いてっていう生活が続いて。気づいたことは、アニメって凄く日本人的だなと。
海外なら、クラシックもロックもダンスミュージックも、何でも人種・文化・歴史、そして音楽的な文脈が大事なんですよ。ブラックミュージックは成立からして歴史と人種ですよね。ロックの場合はどちらかというと文化・文脈かもしれませんが、シーンがあってムーブメントがあって、その中にいかに参加できているかということが重要で。
アニソンは、そういうものに全く縛られていなかったんですよね。ビートルズやビーチボーイズみたいなことをやってもいるし、クラシックもジャズも、ハードロックもメタルもあるし、アイスランドのアーティストのようなエレクトロニカっぽいこともやっているし、テクノも民族音楽もあるし、最新の流行を取り入れた洋楽のようなこともやっているし。作品にふさわしいことと時間的制約はあれど、その中で、タブーを堂々と犯すような自由さがある。そこに面白さを感じたんです。
もう 1 つの面白さは、音楽評論をする場として、まだほとんどの書き手が手をつけていない領域だったってことですね。

ファンが隠れてアニソンを聞いていた時代から、ヒットチャート上位を獲得するまで

平良:
アニソンって自由なんですね!そんな風に聞いたことなかったです。ということは、その当時はアニソンファンはまだあまり居なかったってことなんですか?

冨田氏:
実は、普段は洋楽聞いているのに、隠れアニソンファンという人が結構周りに居たんです。
タワーレコードってサンプル放出的なものがあって、プロモーション期間が終わったサンプルの一部を分けてもらえていたんです。そこで隠れアニソン好きのスタッフが数人で「これいいぜ」って、まわりに聞こえないようにコソコソと話していたんですよ(笑)。
「水樹奈々”ETERNAL BLAZE”っていうんだけどさ、、」「ああ知ってる!」みたいなやり取りをコソコソしたりして。

その頃はまだ、アニソン好きの前でしかアニメの話しもアニソンの話しもできなくて、仕事柄的にもアニソンオタクだとバレることに恐怖心があったんです。今はオタクって蔑称ではなくなりましたけど、そもそもはあまり良い意味では使われない言葉でしたから。
まだそういう雰囲気があった時代である2005年に、当時着メロの会社をやっていたドワンゴが「 アニメロサマーライブ 」(以下「 アニサマ 」)というアニソンフェスを開催しました。
それまでのアニメのイベントは、1 つのメーカーさんが 1 つの作品を通じて行われるものがほとんどで。例えば『ガンダムSEED』のイベントに、その主題歌を歌っているシンガーさんや声優さんが出てきて盛り上がるみたいな。だから、レーベルや事務所を完全に横断する形のいわゆる”音楽フェス”がなかったんですよ

「 アニサマ 」は最初から1万人規模でやったら、バッチリお客さんが入った。新しいアーティストもベテランも含めて沢山のアーティストが出て、もの凄くハッピーなムーブメントになっていたんです。それを見た時に「ちゃんとシーンになりえるくらいアーティストも、お客さんいるじゃん!」って思ったんですよね。

それまでは、いわゆる音楽メディアってアニソンというだけで門前払いに近い状況で。もっと言えば、僕の働いていたタワーレコードには、当時までアニソンの棚すらないし、アーティスト別にも分かれていない、全部サウンドトラックってコーナーに押し込められていたんです。まだポップ・ミュージックの扱いをされていない、そんな時代。それなのに「アニサマ 」が成立するくらいにお客さんは入っている。
「 アニサマ 」の2年目は武道館でやることになるのですが、今年はもう 15 回目で、現在はさいたまスーパーアリーナ 3 days、約 8 万人を動員するイベントになっていて、アニソンにおける世界最大規模の音楽フェスになりました。

僕は 2 回目の時に、武道館に行って物凄く感動したんです。これだけ自由な音楽で、だけどレジェンドクラスのアーティストもいて、フォロワーとしての若いアーティストもいる。これはもう音楽シーンだなと思って。シーンもあってお客さんもいるのに、なんでアニソンってメディアがないんだろう? って思いました。

そしてその頃、「 涼宮ハルヒの憂鬱 」( 2006年 )というアニメの エンディングテーマ「 ハレ晴れユカイ 」がオリコンのトップ 5 まで入って。多くの音楽関係者たちが「 なんだこれ!? 」という状況になった。それはタワーレコードも同様で。僕はそもそも「 涼宮ハルヒの憂鬱 」の視聴者だったので、間違いなくヒットするだろうとは思っていました。でも正直、ここまでハッキリとチャートアクションという形で顕在化すると説得力が違うなと思って。そして明らかに、今後アニソンはマーケットとして大きくなるだろうなと思い、その年の年末にタワーレコードを退社しました。

平良:
なるほど〜!そこから、本格的にアニソン業界に入っていかれたわけですね。

冨田氏:
それまでバイヤーとして働きながら執筆活動もやらせてもらっていたので、その執筆の経歴をまとめて、「 アニソンやりたいんです! 」って出版社に企画書を送りまくっていたら、洋泉社の「 オトナアニメ 」が採用してくれて。それでアニメライターの前田久君と 2007 年に「 今聴くべきアニメソング 50 」という企画を組んでもらいました。
この企画は何かというと、水木一郎さんや佐々木功さんのようなレジェンドも素晴らしいけども、そういうステレオタイプな古いアニソンじゃなくて、今深夜にアニメを見ている人達に向けた ” 2000 年代のリアルタイムなアニソン 50 選 ” だったんです。そしてその反響が凄くあったみたいで。「 こういうの待っていました! 」という声がたくさん届いたようなんですね。
そこからフリーライターとして、いわゆる一般的な音楽雑誌と平行してアニソン専門誌に執筆をしているうちに、アニソンの専門家としてラジオやテレビに出るようになり、どんどんとアーティストたちからオフィシャルの仕事を受けるようになって。音楽評論という僕の側面に関しては、そんな感じで形成されて今に至っています。

平良:
そういう経緯だったんですね!確かに、深夜にアニメやってるなーって思っていましたけど、そんな風には捉えられていなかったですね。

アニメが深夜に放送されるようになった経緯と、深夜アニメがアニソンに与えた影響

冨田氏:
時間軸の話しをすると、実は、アニメは、90 年代後半から深夜に放送枠が作られるようになったんですよ。
95 年にテレビアニメとして「新世紀エヴァンゲリオン」がはじまって、劇場公開されたのは 97 年から 98 年。そのタイミングで劇場にお客さんを入れる為に、まだ見ていない人に知ってもらいたいと思ったのか、テレビ東京が枠として空いていた深夜に放送したんですね。もともと「 エヴァ 」は夕方にやっていたアニメだったのですが、深夜に流したら一度アニメを卒業した人達が「 面白い! 」ということでアニメに帰ってきたんです。「 エヴァ 」は謎が謎を呼ぶ展開や哲学的な内容、戦闘シーンから濡れ場までアニメとして限界に近い描写もあって、むしろ大人の方が楽しめる作品だったから、「 知らなかったけど見たらメチャクチャ面白いんだけど!? 」と。大学生とか社会人とか、深夜に活動している人達が見るようになって、そこからいよいよ人気が爆発。社会現象になる所までいったわけです。以来「 なるほど、アニメって深夜にやればいいんだ 」と。

それで 2000 年代の初頭くらいから深夜に向けたアニメ作品が増えいきます。いわゆる青年~社会人たちに向けたアニメですね。深夜枠になることで子供への配慮もなくなり、可愛い萌えもあればグロすれすれのバトルものまで、より幅広いテーマを持ったアニメ作品が放送されていきました。
そうすると、アニソンも今までの子供向けの作りじゃふさわしくなくなったんですね。それで、深夜アニメを見る大人たちが楽しめる音楽としてアニソンが作られるようになり、積極的に J-POP アーティストが起用されたり、洋楽が使われたり、タイトルや主人公の名前を叫ぶようなクラシックな意味での ” アニメソング ” のスタイルが失われて、どんどんアニソンの枠組みが拡大されていきました。「 アニメ作品に相応しくてかっこよければどんな音楽だって受け入れよう 」と。その結果、ものすごく自由な音楽が生まれる場所になっていったと考えています。

平良:
なるほど。そういう背景があって、今の自由なアニソンがあるわけですね。

今の自由なアニソンが出来上がった背景には、アニメが深夜に放送されるようになり、アニメの幅が広がったことが大きく関係していることがわかりました。アニメ作品にふさわしければ、ジャンルを越えてコラボレーションをし、ポップでキャッチーな音楽を作り出して来たアニソン。

次回は、なぜアニソンには熱狂的なファンが多いのか、そのメカニズム探ります。
(つづく。)

編集・構成 / 赤塚えり

アニソン:時代 × 自由 × 親和性 # 1  深夜アニメで加速したアニソンの自由 
アニソン:時代 × 自由 × 親和性 # 2  作品と相思相愛だからこそ生まれる名曲 
アニソン:時代 × 自由 × 親和性 # 3 多様性に伴うアニソンの変化
アニソン:時代 × 自由 × 親和性 # 4 現実社会の生きづらさを補完してくれるアニメ
fanicon は、アーティストやタレント、インスタグラマー・ユーチューバーなどのインフルエンサー( アイコン)の活動を、コアなファン( コアファン )と一緒に盛り上げていく会員制のファンコミュニティ アプリです。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

5
タレントが「自分らしく活動する」ために、ファンとの関係性を考えるメディア -- 月額会員制 ファンコミュニティアプリ fanicon ( https://fanicon.net/icon )公式メデイア
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。